た時間を取った上でゆっく

昨日の富裕層デパートの記事。
行きの電車の中でほとんど入力し、締めはアポ待ち時間、さらに仕事の空き時間に、加筆訂正したので、まとまった時間を取った上でゆっくり考えられなく、どうも、アタマの中で自分なりの、すっきり感がない。
納得の結論が導かれないまま、今日の朝を迎えた雪櫃哪個牌子好

で、たまたま、寝ぼけた顔で起きてきた次女に、投げかけた。

「昨日の話なんやけど、どうも、もやもやする」

いつもならメンドくさ煙たがられるところが、本日は非常に珍しく、話に付き合ってくれた。
で、手短に問題点や疑問点を話した。
途中、脱線しまくりで、(「話が外れてるで」と指摘されるまでもなく)ちっとも手短ではなかったが。

次女曰く。
「人の目を通しての富裕層ウォッチングではなく、自分の目でHデパートに行って、見てきたらDermes?」

なるほど。納得。

そもそも、富裕層とは?その定義、捉え方が、わたしの姉と、わたしとは微妙に違う可能性がある。
姉妹であるが、家を離れるまでは同じ育成歴でも、離れてからは違う別人生。
(そもそも生まれた時から別人格)
多少の誤差は生じるだろう。

で、
富裕層うんぬんよりも、ファッションセンスの問題ではないかと。
センスは、人によって違う。
多くの人に愛され憧れられるファッションが好きな人は、求めているものと、求められるものが同じだから、一直線で、やりやすい。
わたしのように、自分の好きなものと、一般的な好みとに多少のズレがある場合が、ややこしい。
決して人様からの賛同を得たいわけではないが、人が良いと思っているものに対しても、確かに物理的には良いとは思うが、それがどうした?と、なる。
自分もマネしよう、取り入れよう、参考にしよう、とはならない。
否定はしないが、なびかない。
肯定するとしても、多くあるものの一つ一つとして、それぞれを肯定する。
決して、それだけが良い、他のものは良くないとは思わない。
ふ?ん、そうなの、それで?
と、なってしまう。
可愛げない。
自分の核を持っているから、混じったとしても、溶けないのだろう。

ファッションから入る富裕層、こういう流れで定義しようとするから、すっきりしないのだ。
ファッションそのものに、頑とした自分を持っているので、「高そう→富裕層」という式はあっても、「マネしたい、参考にしたい」とならない。
しかも、最近のわたしは、同じ「高そう」でも、ファッション性を追求するのではなく、快適性、機能性を重視する傾向にあると思われる。
だとすると、ウォッチングは正解だ。
見て楽しむ。自分なら、買わない、着ない。憧れない。
「ふ?ん」の一種。

人それぞれ価値観は違うし、ファッションセンスにいたっては、もっとバラバラ。
だから、服が売れるのだろう755 脫毛

歩んできた道によって、価値観は分かれる。
ファッションセンスは、さらに価値観以前に、感性の問題。
「好み」ってやつである。
人それぞれで、どれも正解で、決まりきった模範解答はない。