絶対に反対である

コロナ渦におけるオリンピック開催は、わたしは絶対に反対である。
この時期、他国で開催されたとしてもどうかと思うのに、よりによって自国で。
スポーツ文化は、人の犠牲や、生活を困窮させてまで死守すべきなのか?
芸術家や、夕鶴のおツウさんが我が身を削って作品を造るのは、わかる。
当事者のエネルギーを自分の身から出している。補給している轉奶粉肚痾

その補給元が他人からだったとしたら?
例えば、おツウさんが、悲鳴をあげる親友や親戚の羽根を抜いて夜な夜なはたを織っていたとしたら?
自国民の、忍耐や生活を犠牲にしてまで開催するものだろうか?
しかも他国の人から、「日本人は犠牲には強い」なんて、犠牲を強いられてまで。
日本人に犠牲エールを送るのなら、じゃあ、おたくさまの国で開催なさったら?
日本への一般人入国をストップさせて、自国を守ろうという超大国もあるのに。

なぜ、反対なのか?
開催されないと寂しい、、、なんて、そんな子供のような感想の方もおられるが、、、
寂しい??!!
自分の子供の運動会さえ開催されずに辛抱しているのに預防肝癌
自分の幸せを犠牲にしてまで他人の幸せを応援できるか?

なぜ開催を反対するのか、その理由を考えてみてほしい。
お金ではない。
まだ、コロナワクチンも遅遅で高齢者にさえ接種が十分行き渡ったっていない現状。
飲食店や商業施設は閉まり、行政施設も利用出来ない。
市民もさることながら、飲食業の人々は先の見えない深刻な犠牲を強いられている。
コロナのために、我慢を強制され、反対しているのだ。
自国民に犠牲を強要するその一方で、人流活性化の極め付けである国際イベント開催、、、。

人流を抑えるために我慢に我慢を重ね辛抱していたのに、また緊急事態宣言延長で我慢も延長。
限界に達しそうだ。
こんな状態でなぜオリンピック???
コロナのこと、自分の身に起きているリアルな犠牲のことを考えたことがあるのだろうか聽力評估

確かに楽しいことは無いより有る方がよい。
だが、自分が辛抱するのではなく、他人を辛抱させ、他人に犠牲を強いるようなことを、自分の楽しみのために進めるなんて、わたしには理解できない。