事内容もそれなりに

かつての、今より若い年齢の時は、お読みになる方もわたし同様に若く、記事内容もそれなりに若い。
老境が理解出来ない年齢のもの。
痛々しかったり、けしからん内容だったり、今に比べると、若気の至り加拿大留學
世の中の若者を嗜めるより、自分の若い時は最もわかりやすい「来た道」の実況見本だ。

しかし、過去の自分に、現在の自分が励まされたり、諭されたりするなんて、思いもしなかった。
ブログの想定外の副作用だ。
将来の自分もまた過去の自分から見て拍手されたり、労われたりするのかも知れない。
過去の自分を見ては、こんな元気な時もあったなあ、、、と懐かしむのだろう。

過去のわたしから今のわたしに「頑張ったね!」と。
今のわたしから過去のわたしに「頑張ったでしょ!」と。
将来のわたしから今のわたしに「若いね」と。
今のわたしから将来のわたしに「年とったね」と。


わたしは、人生100年時代だというのに、まだ3分の1も残っているというのに、、、
朝、好きな時間に起きることの贅沢に酔いしれている。
夜、好きな時間に寝ることもまあ、悪くない。
最近は寒くなってきたので、あまり夜更かししない。
ゆっくりお風呂に入って体を温めて寝ると更に幸福感は増すのだが、一人だけお風呂の湯を張るのになぜか抵抗がある。
たんなる気分屋なのだが澳洲讀書
もっともっと寒くなると、自分だけのためであってもお風呂を沸かすだろう。

一日中自由な時間をまったり満喫している。
これは最高に満ち足りた気持ち。
好きな時に好きなものを飲み、食べる。自分だけのために。
自分の好きなTV番組を自由にのびのび、熱心に見る。
しかし365日これだと、絶対に退屈するだろう。
目前に控える年末年始、家族大移動がアタマをよぎる。
タオルはどうしよう?こちらからある程度、持って行こうか?
シーツ、布団はだいたいはあるものの、大丈夫か?
食品はオーダー品の他に、うちから持ち運ぶものや、むこうで買うもの、あれこれ。
調味料も一つ一つ、ケータリングのように持っていかなければ。
正月のお飾り、設は??
?????
アタマの隅っこでチラチラし始めている。
が、テコでも動かず、自由時間を無理矢理満喫しようとしている自分がいる。
追い詰め、切羽詰まらないと動かない。
前倒しで毎日少しずつ準備したら、楽だし、忘れたり失敗もないのに。
でも動かないわたし。
さすがに、じわじわお尻が熱くなりそうな気配。
だが、無理矢理、今日もまったりするぞー!!と、へんに自分にハッパをかけている。
全く優雅でもなんでもない。
宿題をしないで無理無理、苦しそうに遊んでいる小学生孫のようだ加拿大移民

ールしているように思う

自分への期待値を極力低く下げるように日々、周りにアピールしているように思う。
特に意識していないかも知れないが、ドジ脱力ばかりなので、周りも諦めているのだろう。
これは悲しいかというと、じつに楽ちんなのだPerfect Medical 好唔好

だが、銀行や携帯電話ショップや、自動支払機で払うショップなどで、一テンポの遅い反応のわたしに、スタッフの人は、目を釣り上げるか、大きな声でゆっくり話したり、いかにも高齢の人に対するような態度を取られると、不快になる。
「深く傷つく」と書こうかと思ったが、そう書くのは情けない。
テンポがほんの少し間延びしていると、その瞬間、理解の遅い高齢者枠に放り込まれる。
「あ、この人は、わかってない人!」と見なされる。
いたくプライドを傷つけられる。

元々、ピンと目から鼻に抜けるタイプではないのだが、おっとりは自分のキャラだと捉えていた。
が、高齢枠が加わると、自覚していないまま、他の大勢の高齢の人々と共に同時に弱者枠に放り込まれるイメージ助聽器比較
トロイのを自覚するか、テンポを上げてシャキシャキするか、だが、一番有能なピーク時の若い時でさえ、「大正時代のお姫様」と時代遅れレッテルを貼られていたのに、心身ともに歳相応分の老化を加える今は、ますます、まばたきもしないお姫様になっている。

しかし、無駄な抵抗はやめよう。
開き直るしかない。
65歳以上の高齢者にはワクチン優先だそうだが、65歳以上は高齢者なのかと思うと感無量である。
わたしは、あと数ヶ月で高齢者になる。
ちなみに、政治家はほぼ全員、高齢者だ。

そこで苦肉の策として、高齢者呼ばわりされるにはふさわしくない前期高齢者と、後期高齢者に行政では分けていたように思う。
65歳以上の人口に占める割合は、いったいどれぐらい?
65歳は、まだまだ働ける。
が、高齢者ということで、ひとくくりされる。
これからは、高齢者という自覚をじわじわ徐々に持っていこうと思う。
へんに傷つかないで、かわいいおばあちゃんになれば良いわけで。

しかし、銀行やお店の方、もうちょっと余裕をもって対応していただきたい。
無理かも知れないが。

とかなんとか、期待されずに、義務を最小限にして、ぼーっと遊びたい。
一人で遊べなくなったら、最近、どうしてるの?と気にかけてほしい、、、なんて言うとムシが良すぎか抽濕機乾衣

サボりすぎると、楽しみまで取り損ない溢れ落ちるから注意が必要だ。
他者と自分、お互いの微妙な力の加え方が要だ。
(タイミング、圧の強弱、持続状態、関わり具合、などなど、、、)

ねりや予兆がある

なので、そんな絶滅した道をわざわざ目指す人も当然存在せず、あるとしたら、偏差値が低いから入れるだろうという、偏差値の低い生徒の安易な志願。
人気が地に落ちている。
絶滅するにも、ある日突然、絶滅するわけではなく、時代のうねりや予兆がある。
その前段階で舵を切っていれば、絶滅泥舟に乗らなくても良かったHIFU
ぼーっとしていたら、あれよあれよと言う間に舟は傾き、それから40年以上経つと、絶滅していた。
にもかかわらず、本人は自分が絶滅種であることに何の不満も抱かず楽しく暮らしていた。
が、ある日、世の中の流れがはっきりわかる結果を目の当たりにして愕然とした。
あらま、絶滅してたのね、と。

姑は良いよなあ。
絶滅種なのに自覚もなくそのままあの世へ。
自覚したところで、もはや変えることはできないから、知って知らんぷりが良いだろう。

「元○○」を生きるこころの糧にしている人もいる。
誇り、プライド。
ある意味、リタイアしたばかりの人は、かつての職業の尾を引く皮秒激光邊間好
素晴らしい肩書き、業績、部下、、、
しかし過去の遺物。
リタイアした日から、ただの人。横並び。
ではあるが、手柄や業績は事実であり、消えない。
(立派な人格や能力、人脈は引き続き、多分野で求められることだろう)
逆に失脚した場合、失敗、ミスも事実であり、消えない。

わたしのケースでは、、、
元○○の○○がもう存在しないことに、呆然。
わかってはいるものの、現状のデータ事実から痛感する。
そうかぁ、、、そうなんだね、なあるほど。
過去の遺物、シーラカンスになった瞬間だった。

女性の生き方は大きく変わった。
子供を産み母乳が出るのは女性だが、産んだ次の瞬間からは、役割を男女でシェア。
家事、育児をやらない男性は、糾弾される。
手伝うのではなく、しっかりシェアする。
女性も自立。
政略結婚の駒として利用されない。
意識的に策略の一つとして取り入れる人もいるだろうけれど、それは目指し憧れるような立派な進路か?

今更ながらではあるが、
シーラカンスとなった実感を噛み締め、水槽の中からガラス越しに世界を眺めているReenex

うことを聞いてくれ

なんだかお疲れ気味。
楽しい行事、スケジュール目白押しなのに。
体調は管理できても、気分はなかなか言うことを聞いてくれない。
難儀。
こんなに自分の感情をコントロールする努力をしているのに毛孔角化症
わたしは天然だから、プラスもマイナスも自然体なのか、、、

今、気になっているタスクが2つあって、ずしんと頭に重く乗っている。
はやくクリアしないと、憂鬱気分が続くではないか。
本格的に梅雨入りするまでにどうにかしないと。

と言いつつ、子供たち一家や、夫は、病気にもならず、毎日、仕事や学校、保育所に通い、心身健康で有り難く幸せである。
朝はわたしの気分がほんの少し下がったが、それはブログの書き始めの時だけで、すぐ回復した。
ああ、良かった。

昨日、今日と2部制スケジュール構成で、楽しい時間を過ごした。
アドレナリン出っ放しである。

ちなみに、最近、他のgooユーザーさんのブログを読むことがある。
アピールチャンスで自薦、紹介されているブログ記事で、なんとなく興味を引かれた記事を読むWedding ceremony venue

今朝、読んだブログは、わたしと同世代の男性ブロガーさんが書く、ご夫婦と、長男さん一家(夫婦+子供二人)と、次男さん一家(夫婦+子供は二人)で、親御さんが入所している施設にお見舞いに行く話だとか、GWに、交代で息子さん一家が実家に帰省して泊
まる話などが書かれていた。
ここで、キーとなるのは、ブロガーさんは、男性ということ。
微笑ましい話だったが、息子一家のお泊まりはかなりデリケートで、奥さんたち(自分の妻と息子の妻。嫁姑の関係)はとても疲れる。
そのあたり、じいちゃんは気楽でいいなあと思った。
妻たちは、お泊まりなどとは、、、めちゃくちゃバテていると想像する。
おそらく、奥さんの心情を推測る息子さんであれば、気が気ではないと思う助聽器價錢

絶対に反対である

コロナ渦におけるオリンピック開催は、わたしは絶対に反対である。
この時期、他国で開催されたとしてもどうかと思うのに、よりによって自国で。
スポーツ文化は、人の犠牲や、生活を困窮させてまで死守すべきなのか?
芸術家や、夕鶴のおツウさんが我が身を削って作品を造るのは、わかる。
当事者のエネルギーを自分の身から出している。補給している轉奶粉肚痾

その補給元が他人からだったとしたら?
例えば、おツウさんが、悲鳴をあげる親友や親戚の羽根を抜いて夜な夜なはたを織っていたとしたら?
自国民の、忍耐や生活を犠牲にしてまで開催するものだろうか?
しかも他国の人から、「日本人は犠牲には強い」なんて、犠牲を強いられてまで。
日本人に犠牲エールを送るのなら、じゃあ、おたくさまの国で開催なさったら?
日本への一般人入国をストップさせて、自国を守ろうという超大国もあるのに。

なぜ、反対なのか?
開催されないと寂しい、、、なんて、そんな子供のような感想の方もおられるが、、、
寂しい??!!
自分の子供の運動会さえ開催されずに辛抱しているのに預防肝癌
自分の幸せを犠牲にしてまで他人の幸せを応援できるか?

なぜ開催を反対するのか、その理由を考えてみてほしい。
お金ではない。
まだ、コロナワクチンも遅遅で高齢者にさえ接種が十分行き渡ったっていない現状。
飲食店や商業施設は閉まり、行政施設も利用出来ない。
市民もさることながら、飲食業の人々は先の見えない深刻な犠牲を強いられている。
コロナのために、我慢を強制され、反対しているのだ。
自国民に犠牲を強要するその一方で、人流活性化の極め付けである国際イベント開催、、、。

人流を抑えるために我慢に我慢を重ね辛抱していたのに、また緊急事態宣言延長で我慢も延長。
限界に達しそうだ。
こんな状態でなぜオリンピック???
コロナのこと、自分の身に起きているリアルな犠牲のことを考えたことがあるのだろうか聽力評估

確かに楽しいことは無いより有る方がよい。
だが、自分が辛抱するのではなく、他人を辛抱させ、他人に犠牲を強いるようなことを、自分の楽しみのために進めるなんて、わたしには理解できない。

に全く影響はない

ダラダラ長い、自分と向き合う蝶ブログ。
自分のブログとは長いお付き合いになった。

文章が脳からダダ漏れの時もあれば、固く固く捻った水道の蛇口のように、一滴も出ない時もある。
珠玉の、、、とは正反対なので、出ても出なくても体制(大勢?)に全く影響はない讀書移民
路傍の石にもならない、、、けれど、路傍の花が、わたしを救う。

それはそうと、わたしは偶然性を重視するようになった。
目的に近寄ろうとして、寄り道、道草の枝葉から偶然、長い間、苦労して探していたものが見つかることがある。
だが、見つけた時は手遅れ、時遅しということもある。
それはそれで、そういう運命。
必死で探している時は見つからないものだ。


わたしは、かつて20代前半の頃、結婚相手を必死で探していた。
宇宙的な時の流れ、概念から、自分の生きる意義を模索した。
自分は生命を繋ぐことに意味があると結論付けた。
で、相手はいなかったが結婚しようと思った。(これ、唐突)
何人もの、いや、もっともっとの人々とお見合いをした。
で、最後のお見合い相手である夫と結婚した。
選考オーディション、最終3人は本腰を入れた。
一人一人、真剣に結婚の道を考え、進んだ。
それまでは、そんなに真剣ではなかった。
出来れば結婚したい、だとか、良い人がいたら結婚したい、という地に足が着いていないもの。
うすぼんやり、うっすら希望だけ。
だが、そんな甘いことではうまくいかないと悟り、最後の3人あたりでラストスパート。
何が何でも結婚する!と。
絶対、決める!と英國樓盤

ラスト3人の1人目はギリギリアウト(詰めの段階で成立せず)、2人目もギリギリアウト(同じく不成立)、3人目はギリギリセーフだった。
3度目の正直。
2度あることは3度ある、ではなかったので、やれやれ。
どうにか24歳(クリスマスケーキ。イブを過ぎると暴落間際)で滑り込んだ。
今の世相なら考えられないかも知れない。

そのラストの人物(夫)は、ラストでなくても、1番最初のお見合いで出会って結婚していたかも知れない。
たまたま最後だった。
(今、思えばなぜ、最初ではなく最後に登場したのか、それとなく想像できる)

ということで、わたしの掲げた理想の結婚だったため、離婚しようなどとは一度も考えなかった。
仮に離婚すると仮定、シュミレーションして、何かを論じる時の、一つの手法としてはあったかも知れない。
が、現実性はゼロ。 
日常生活については、多少不満や個人的嗜好の違いもあったが、それで離婚はしない。
別の(普通の)人と結婚しても、大なり小なり、たいして変わらない。
ラストの3人であれ、最初の3人であれ、中盤の数人であれ、
どんな人と結婚しても、それなりに幸せになれただろうし、それなりに不満ばかり言っていただろう。 
たまたま当時の自分の等身大の身丈に合った人物だったと思われるSheffield 住

実家にお世話に

まあそういうわけで、わたしは身体を壊して病気になった。
さすがに年子3人の乳幼児を抱えて、母親が病気になると、さて、どうしたか?
初めの頃は姑が遠方から泊まり込みで手伝いに来てくれた。
交代で実母も応援に駆けつけてくれた。
が、遠方でもあり、度々呼び出されては姑たちも対応できない。
さてさて、どうなったでしょう?
はい、ご想像の通り。
病気をしている本人の実家に転がり込むことが多いと思われるが、わたしの場合は、夫の実家にお世話になった。
夫抜きで舅、姑と同居。
長女は夫の実家の地元の幼稚園に入園した。
下の2人は、お姉ちゃん、行ってらっしゃい?!と、お留守番。
私たち母子は、夫の祖父母が住んでいた別棟で過ごした清黑頭
昭和4年築だが、キレイにリフォームされ、建具も表面を新調され、柱や床は美しく洗いにかけられ、快適な住まいとなっていた。
しかも、3食昼寝付き。さらに、手のかかる夫はいない。
代わりに姑が手助けしてくれる。
天と地の差。
天国である。
姑、舅は孫たちを可愛がってくれるし、わたしの健康状態を気遣ってくれる。
あれを手伝えだの、働けだの、言うわけもなく、自宅療養の身であった。
一年の療養期間を経て、夫は単身赴任を終えて、我々は今、住んでいる家に合流した膠原自生

と、この時期は、時間はゆっくり流れた。
自分が持ってきた婚礼道具も全て夫の実家に入れていたので、荷物整理と言う名の、お遊びをしていた。
遠方で赴任中は、乳幼児と一緒くたの同じ檻内の動物園のような子育て期間。
服など選んで着ることもない、着ることも出来ない。
毎日が終わればそれで良かった、そういう期間。
それが100万馬力(昭和?死語を平気で使う)の助けを得て余裕の自由時間を得た。
荷物の中から自分の若い頃、着ていたお気に入りのお出かけ服を取っ替え引っ換え、着てみた。
風通しを良くしたり、陰干したり、服の具合いを確認したり。
そのためには、着てみるのが一番手っ取り早い方法だった。
こんな服、着てた、着てた、好きだったのよね、これ、やっぱり素敵、と、こころの中では、きゃあきゃあ、はしゃいでいた。
部屋で着るだけでは物足りないので、当時、通院していた地元の病院の受診に着て行った。
1か月にわたり入院もしていたその病院に、定期的に受診していたのは病状が落ち着くまで数ヶ月続いた。
その病院に受診する度に、若い頃の、煌びやかな生活感ゼロのオシャレ服を取っ替え引っ換え着ていたものだから、良く思わない人がいても想定内。
病気になっている人々が暗く辛い気持ちで通うところなのに、生活感無く、場違いでキャピキャピしているわたし(だったのだろう)紐崔萊維他命C