と言っておいた

昨日、リアル人に面と向かってブログやサイト日記の話をした。
ブログは14年にも及ぶと話したら、きょとんとしていた。
早速、どのブログ?と探そうとしたが、無理ですよ、と言っておいた。

わたしのブログは、肉親をはじめ、リアルな近く親しい人の数人は見ることが出来るが、彼らは見れても見ない傳單印刷
ごくたまに近況報告チェックのつもりで読む人もいるが、ほとんどの人は読まない。
なぜなら、、、これはわたしの想像だが、地雷が埋まっていて知らずに踏んだら大変だからだろうと。
それよりも、人のブログをチェックするほどの時間がない。

見ず知らずの人や、一生に数回会うか会わないかの人なら、リアルな距離感から考えると、対岸から面白おかしく読める。
が、同じ側に居るとそんなわけにはいかない。
亡くなってしまった近い親しい人の、亡くなる直前まで書いていた未完のブログでさえ、ブログを読むのは憚られる。
知らないほうがよかったこともあるからだ。

日記というものは、文豪や重要な時局を迎える時の総理大臣級の人なら、歴史を紐解いたり検証、考証したりする重要な文献として参考になるが英國展銷會、、、
そこらへんの無名の暇つぶし女子(わたし)の戯言には、人畜無害ではあるものの、つまらないものである。
無害ならまだ善しとしよう。
無意識地雷は書き手にも読み手にも被害がある。
だが、ごく稀に良いことも言っているかも知れない。
ただし、ごく稀に。
膨大な時間を割いてお読みいただくのは、こころが痛いのではあるが、身内以外の方に関しては無罪放免としていただきたい。
身内の方は、自己責任で読むべし。
ただし、幸か不幸か、身内には暇人がいないようだ。

で、話を戻す。
身内ではないリアル人は、たいがい、こうおっしゃる。
「わたし(僕)のことは、書かないでね」
はい、書きません。
が、人物を特定しないかたちで登場する可能性はある。
出演料なし、参考料なし、アドバイス料なし、、、
すみません、ごめんなさい、の気持であるが、わたしの人生にそっと彩りを添えてくださいAmway直銷商