省エネには細心の注意を払

どんどん浮世離れして行く、わたし。
自分の世界。
これがまた気持ちいい。 
時折、はっとして現実に引き戻される。
スマホに没頭して、電車で、降りる駅を通過してしまうのは、日常茶飯事)

最近、自分の行動が信じられない。
悪い意味で。
◯◯し忘れる。
これが多い。
1番頻繁なのは、電源の切り忘れ。
地球温暖化スローダウンをこころの底から叫び、いつも、エアコンの省エネには細心の注意を払っているのに、、、もかかわらず、、、外出時に床暖房のスイッチを切り忘れ、木枯らしの中、帰ってきたら、室内は、ほんわか春。
ぎゃ。

電気敷毛布も、主がいないのに(寝てないのに)、一日中ぬくぬく、ほかほか。
ある日は、あまりにも暑くて寝苦しく、異常気象かと思いきや、電気敷毛布の設定温度が最強のダニ殺しモードになっていた。
ダニとともに、わたしも丸焼けになるではないか。

火事に至らなければいいと言っても、そういう問題ではない。
自己嫌悪。
今後、益々この傾向は強まるのではないかと戦々恐々。
少しぐらい家人の、トイレの電灯切り忘れは許す傾向にある。
自分に甘く人にも甘く。
2人で各々の失態を許し合うが、こころが広くなって良かったね、では済まされない。
防犯などの保安もさることながら、家の安全上、危険だ。

最近の田中角栄さん御殿を始め、ろうそくの灯りで家屋を全焼した話はゴロゴロしている。
信心のろうそく、家や家族を守りたいためのろうそくが、家を焼き尽くすという皮肉な結果をもたらす。
「神頼み」よりも、「自分頼り」という、神様仏様からの直々メッセージか。
神様仏様は、自分で目一杯、力の限り努力した上で、更なるダメ押し、安心の上の安心のためにお頼みするもののようだ。
が、ろうそくに関しては???
神様仏様にお聞きしたい。

ちなみに、わたしの中の自分教・神様仏様は、無心すぎて、無邪気に無意識に、物忘れする。
ある意味、天国に一歩一歩、階段を登っているのか。
階段を踏みしめる時に踏み外さないよう、よく注意することが、自分教の教えである。
とかなんとか、何度も電気毛布や電気マットのスイッチがオフになっているか、確認している。
神様、今日は電源、これで大丈夫ですかねー。
それに気を取られ(かどうかは知らないが)玄関の鍵をかけ忘れていたりする。

それは歴史が物語っている

さて。
フランス人気質と日本人気質について。
裕さんのブログ記事を読んで、彼の考察や思考がキーンと晴れ晴れ脳内に響き渡った。
そうだろう、そうだろう、フランス人の個人主義は昨日今日に始まったものではない。
「他者を思い遣る」というフランス語はあるのかないのか知らないが。

列強の国々が陸続きでつながる、広い大陸の中に位置する国と、周りを海に囲まれた島国。
地理的にも歴史的にも、違いは歴然。
日本は島国血尿檢查
なので、移民や通りすがりの人は(旅人はさておき)ほとんどいないし、
同じ言語(日本語)を話し、先住民を含め民族的にも、ほぼ一種類に絞られているし、
鎖国時代が長かったし。
そして、閉鎖的なムラ社会
あ、うんの呼吸。
目の動きや表情などで、人の思いを汲み取る。

かたや、フランスは、いつ、誰が攻めてくるかもわからない、逃げる時間のない地理条件。
覇者交代によるリスク回避のため、全財産を宝石に換えて持って逃げる準備をしなければならない時代もあった。
狩をする人種、肉食系と、魚や野菜を食べる草食系、農耕民族。
近年は、ライフスタイルも変わり、特徴も大きく変化しているが、長い歴史の積み重ねで培われたものは水面下に根を張っているかも知れない。

木と紙で作られた家に住み、大声も出さないベジタリアン
西洋人から見ると、真逆。
日本人は、一つの方向を見るとパワーが凝縮、集結する傾向にあるようなので(横並び志向)、良い方に行けば良いけれど、悪い方に行くとコワイ、、、それは歴史が物語っている。

今は、過去の反省から、スパルタ軍隊式は非難され、ゆとり教育の影響や、インターネットでの幅広い価値観に触れることで、過去の価値観は変わりつつある。
が、相変わらず個性を尊重しない教育產後 紮肚
職場では厳しい昔風を美学にすると、ブラック企業が横行するからやめてほしいと言われたことがある。
今の若者は軟弱だ、昔は、これこれこうで、、、などと昔話を引き合いに出して時代遅れの価値観を押し付けると確実に嫌われる。

しかしながら、こんな優しい軟弱な国民性で、今後、大丈夫なのかと心配する。
過去の栄光、衰退途上国?

ちなみに、話は脱線するが、
大政奉還から明治維新、あんなに激変、大転換、体制の変わり方はあっぱれだと、わたしは思う。
内乱を伴うといっても早めにケリは付き収まった。
それに比べてフランス革命はスゴイ。
王サマ、王妃サマ、貴族、みんな処刑。
わたしの好きなマリーアントワネットは正に悲劇のヒロイン。
あそこまでする?という激動の時代。
ではあるが、軍人や王族だけではく、一般国民の命が大量に奪われた戦争に関しては、安易な言葉などでは語れない。

戦争経験者はわずかになったが、
フランス革命経験者も、明治維新経験者は一人もいない。 
文献や当時の人が書き記したもので見るしかない毛孔粗大原因
フランス革命と関係あるのかないのかわからないが、フランス人の労働者の権利を主張する市民デモはすごいと感じる。
大統領であろうが、学生であろうが、平等。

ある日、上層部と下層部が入れ替わり逆さになる。
どこの国でも体制が変わるとそうなる。
日本なら、元武士、元貴族、元地主。
時代改革をうまく切り抜け乗り超える人と、暴落する人。
特別な階級だけに限らず、庶民にも言える。

リポツリと口を開くと

いつもわたしの、ペラペラおしゃべりに付き合ってくれているので、こちらも聞かなければ、相手も楽しくないだろうと思い、その人がポツリポツリと口を開くと耳を傾ける。
が、、、ある話はいつも同じ語り口微創植牙
話題は同じでもいいから、表現方法を変えるとか、詳しく話すとか、なんらかの変化があれば良いのだけれど。
録音したものを再生するかの如く。
話したい内容はあるようだが、具体的なことは言いたくないと感じる。
いつ、どこで、誰と、どうした、は、ない。
例えば、家を購入した話。
何回も買ったらしい。
何度も聞いた。何度も何度も何度も聞いた。
だが、どこの地域なのか、遠いところなのか、近隣なのか、他府県なのか、さっぱりわからない。
話が具体的に見えない。
突っ込んで質問していいものかどうかわからないし、こんなに何度も話されているのに、具体的なことを話さないには、理由があるのかも知れない、と推測して、あえて聞かない。
が、何度も話すということは、話したいのだろう。
わたしも自慢話やくだらない話ばかりしているので、たまには相手の話を聞かなければと、気を回す。
ではあるものの、プライベートな案件は、本人の口から出る情報だけに留めておく腋下脫毛
興味本位に聞き出すのも品がないと思い、受け身に徹する。
が、手を変え品を変え、登場人物を変え、ではなく、いつもワンパターン。
わたしも結構、我慢強く、辛抱強く聞いている。
「ひょっとして、この人、認知症かも?」と、わたしに、あらぬ疑いをかけられるぐらいなら、ハッキリ質問して話を進めたらよいのだろうけれど。
どうも切り出す勇気がない。

人は自分が話したい話題でも、全てを話したいわけではなく、ハイライトだけ話したい人もいる。
そんなかんじで、わたしは気を遣って、進展のない面白みのない話を聞いている。
本当は踏み込んで聞きたいのだが、その欲求を抑え、あえて踏み込まずに、宙ぶらりんの話に甘んじている。
なので、話が一通り終わるのを待たねばならず、退屈である光子嫩膚

とかなんとか、他にも話題はたくさん。
日々、どんどん生まれているので大丈夫。
言葉遊びには事欠かない。
話題の新陳代謝は次々、行われる。

一新するとまた着れる日

男性と女性のおおまかな違いに、今朝、ふと気づいた。
例外や個人差はあると思うが。

女性は(わたしぐらいのリタイア年齢になると)、暮らしを楽しむことで日々、充実感を得る。
ものすごくお金がかかるわけではない。
何を食べようかな。
あ、そうだ。昨夜の残りもののカボチャ、ハムとチーズを乗せて焼こうか。
それとも、ミートソースを乗せようか。
一人で自分が食べる、本日のメニューを考える。
生協宅配の申し込み書も、ひとりでほっこり食べられる苺のかき氷、これを頼もう減雙下巴
今日、帰宅してから食べられるように、宇治抹茶あんみつを解凍しておこう。
(食べることばかり)
何時間か後の楽しみがじわじわ押し寄せる。

好きな器や調度品、花や草木、香りの小物、、、脇役も勢揃い。
小さくなって着れなくなった衣類を手直ししたりして、気分を一新するとまた着れる日が来る。
誰に見せるわけでもなく、自分を楽しませてくれるモノ。
自分のこころの中を表現する絵も描いてみたい。
そう、知人Aに言うと、絵画教室に通わないとね、と反応。
べつに習いたいわけではない。人に見せたいわけではない。
発表会や展覧会に出したいわけではない。
自分独自の表現をしたい。
溢れるままにアウトプットをしたい。
だが、その知人Aは基本から習う路線を譲らない。
二人の話は平行線。
次第に語気を強めて行くわたしに、知人Aはヘキヘキ。
「アタマが痛くなってきた」と一言。
で、その話はお開き。
人それぞれ好みの問題で、建設的ではない話に必要以上に熱くなり、わたしも反省した電動牙刷推薦

実はこの知人A、、、アタマが柔らかそうでいいなあ、と、第一印象を受けた、、、が、カチンコチンだった。
見誤った。
まあそういうこともある。

そもそもわたしは体育会系の人間は苦手だ。
でもわたしが文系、インドア派なので、ほっておくと全く運動をしない。
老体に鞭打ち、健康寿命を維持するため、自分にハッパをかける意味でも、この、アタマカチンコチン体育会系人間と、運動している。
体育会系は、ほんとに困る。
わたしが「足が痛い、膝が痛い」と無理したくないそぶりを見せると、「絆創膏を貼ったらいいですよ」と、取り計らってくれない。
わざと悪いジョーク。聞き飽きた。
こんな人のペースに巻き込まれたら、健康寿命がかえって目減りする。
自分の身は自分で守らなければいけない。
なので、もうダメ、MAX限界、という一歩手前で音をあげることにしている。
ギリギリまで頑張ると、身体を壊しては意味がない。
根性なし、と罵られようが、わたしは健康寿命を第一優先的に考える。
旅行はもちろんのこと、日常生活にまで支障をきたすようなことにでもなったら大変。
生活の質が著しく低下する。
自己責任。
なので、自己鍛錬や自己向上などには目を瞑り、ひたすら防衛に回る。
自分はもう闘わない局面に来ている乳房影像檢查

向上を忘れたら老いるだけだ、と、アンチエイジングで頑張っている人がいるが、それでストレスを溜めていたら、せっかくの黄金の健康寿命が泣く。
無茶はよくないが、何ごとも程々に。
それでは生きている意味がない、生きた屍だと嘆くボルテージの高い、何ごともやる気満々、全力投球の人は、頑張ってください。
人には人の道。
現役こそが生きる証、とパワフルに頑張る人もいる。
だがしかし、もう頑張らなくてもいいなんて、なんと幸せなことかと、わたしは思う。
生涯現役を望む太く短い短距離走タイプの男性脳と、細く長くの女性脳は違うかも知れない。
リタイアして、何をそんなにシャカリキに頑張るのか、わたしにはわからない。
逆に、一気に何もすることがなくなる人がいる。
退屈で死にそうになるらしい。
両極端。
間がない。

する室温の好みを常時

ちなみに、体感温度や音、明るさの感覚の違いはどうしようもない。
暑い寒い、うるさい、明るすぎる、などなど、脳を通さない感覚的嗜好の、まさに文字どおり、温度差泌尿科醫生
立派な人、崇高な人、慈愛に満ち溢れた素晴らしい尊敬できる人、であったとしても、私生活で同じプライベート空間を共有する室温の好みを常時、強制されると、ブチギレる。
一歩も歩み寄らず、だ。
戦禍の防空壕の中なら我慢もしよう。
緊張のあまり、それどころではない。
平和が訪れ(と言っても、未来永劫には保証はない)、平和ボケすると、室内での快適性権利の奪い收細毛孔
時間や空間を工夫して、あまり一緒に過ごさなくなってやれやれ、ストレスは緩和されたと思いきや、たまに顔を合わせると、途端にストレスが襲ってくる。
これはもう末期症状ではないだろうか。
であるにもかかわらず、また事態は変化する。
それは、病気になって弱る時。
身心の苦痛や不安を取り省くことに全神経が集中され、暑い寒いどころではない。
その時は、互角に言い張り主張し合わない。
一歩も譲らず五分五分の元気な強気が、臨戦状態、火種の元だ。
力の均衡が崩れたら、意外に副作用として、逆に闘争が収まる。妥協、休戦。
自然な崩れ方か、力づくの強制的崩れ方か、それは誰も今の時点ではわからない。
勝ち負けは、意図して決着が付く場合もあるが、結果的に自然の成り行きで勝ち負けが決まることがある。
まあ、焦らず長い目でみよう。
まだまだ天国まで時間はたっぷりあるderma veil效果

った方には想像できるだ

ちなみに、わたしには親友がいないのが、ブログをお読みになった方には想像できるだろう。
いつも眠いくせに、やたら理想が高い公司禮品
興味があることが、浮世離れしている。そんなことより、晩御飯の用意が先でしょう?という、優先順序が少しズレている。
まともにご飯も炊けないくせに(実は炊ける。わたしは炊飯器のスイッチを押すだけ)、抜いた雑草や葉っぱゴミを入れたビニール袋の口も素早く結べないくせに(自治会掃除でモタモタ)、身近ではない、遠くの世界の理想主義を唱える。
ではあるが、結果的に、夕食が食べられたら、それでいい。
子供が飢えなければいいhifu 機

何しろ、言っていることや、興味があることが日常生活と乖離している。
ものを見る目が、俯瞰的過ぎて、聞いた人は実感が湧かない。
体内時計は、宇宙時計。
なら、学者にでもなればよい。
が、知能と知識と根気が足りない。
学者としての基本的能力はまるっきり不足。
あるのは、疑問だけ。
なぜ?なぜ?なぜ?
本当にそうなの?
だが詰めが甘く(眠くなるので)回答には導けず、解決されないまま迷宮入り。

では、時を半世紀戻せば、どうにかなったか?
否。
どうにもならなかった。
自分のことは自分が一番よく知っている。
やり直したところで同じ。
全く別人に生まれ変わるなら話は別だが、それでは妄想、空想に過ぎない。

毒にも薬にもならないことをグダグダ話されると、聞いてくれるような人はいない。
同じ下らないことなら、面白い娯楽性や刺激があれば楽しかろうが水光针

やった後が充実感があ

さて、まとめ。
わたしの場合、やりたいけれど、やれない原因は他にあるのではなく、自分にある。
自分の情熱、モチベーションが充満しないとやらない。
だが、やらないままより、嫌々渋々お尻を押されてやったら、やった後が充実感がある。
準備段階でワクワクする人と真逆。
自然発露的なものに任せるため、日頃は全くなあんにも、しない。やりたいことがない東京不動產

で、まとめ、出来てるか?
つまり、自分次第では物事は動かない。
やりたいことなんて、ないようなもの。
仏教的には、行動した後に、脳が後付けでなぜそうしたかという理由を付けるらしい。
その説明をFIREブログで読んだのだが、10%ぐらいしか理解していない。
もう一度、読みに行こう。
脳で考えるより先に行動するということなので、わたしは無意識に仏教的なパターンなのだろう。

ちなみに某FIREブログ、ブロガーさんの著書やおすすめ本まで買って読んだ。
影響を受けている。
仕事をしない生活など虚しいものではないか?と、また仕事を再開する人もいる加拿大移民政策
まあそれは良いとして、この共鳴すべきブロガーさん、奥さんのことは一回しか書いていなかった。
毎回、プロ級の手作り料理の写真をブログにアップされているのだが、奥さんの作。
料理は参考本を載せて、品名は一言、書いてあるものの、奥さん自身に関する文章は書かれていない。 
毎日の食卓写真は欠かせない。
それが考察文章よりも奥さんを端的に表している。
幸福の基盤、基本だが、子供さんのことは書かれているにしても、、、おそらく、奥さんに関しての感想や考察は自覚せずに地雷を踏む可能性もあるので、面倒なトラブルは回避したいのだろう月餅禮盒
一番知りたいことは書かれていないことに対して、わたしは自分なりの解釈をしている。